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シンガポール「ブロック71」にスタートアップ集積

シンガポールが世界屈指のスタートアップ集積地として地位を確立しつつある。同国はこれまで石油化学、医薬品、エレクトロニクスなど外資系輸出企業を誘致し、輸出主導型の経済発展を国家主導で進めてきた。一人当たり国内総生産(GDP)で日本を抜くほどの経済成長を成し遂げた今、誘致による成長は限界に達し、自ら産業を創造する必要に迫られている。しかし起業家育成はこれまでの国家統制的なやり方は通用しない。突破口を開いたのは最高学府シンガポール国立大学(NUS)が自発的に始めた取り組みだった。

 

 

 

イスラエルの「シリコンワディ」、北京の「中関村」、ロンドンの「テックシティ」、インドのバンガロールなど、「○○のシリコンバレー」と称される場所は世界にいくつかある。東京23区並みの大きさのシンガポールのそれは「ブロック71」だ。

シンガポール中心街から地下鉄で西に約40分、「ワンノース」駅は複数の近代的な高層ビルがつながった「フュージョノポリス」に直結していた。シンガポール科学技術研究庁(A*STAR)やその傘下の研究所などが入居するハイテク拠点だ。だが「ブロック71」はここではない。建物を出て南に少し進むと年季の入った、青いラインの入った7階立ての低層ビルが見えてくる。「71 番地」と素っ気なく呼ばれていた建物は「アヤラジャ工業団地」の一角にあり、かつてはエレクトロニクスや精密機械など中小の製造業が入っていた。

それが今や250社以上の情報技術(IT)関係のスタートアップや30社超のベンチャーキャピタルが入居する。すでに満室状態で、隣接する「ブロック73」「ブロック79」も同様のスタートアップ入居施設に転換された。現在計700社以上が集まっており、さらに3棟がオープンし千社を超える集積を目標とする。

「ブロック71」をスタートアップ集積拠点に変えようという取り組みは、設立110年を超えたNUSが主導して11年から始まり、5年ほどで周辺は大変貌を遂げた。だが、そもそもNUSが起業家を育てようとする試みは今から15年ほど前にさかのぼる。

「どうしたら大学が若い人にとって面白くなるのか自問し、米スタンフォード大のように起業家文化を育むことはできないかと考えた」。一連の起業家育成プロジェクトを担当するNUSエンタープライズのリリー・チャンCEOは語る。まずNUSが始めたのは学生に起業家精神を植え付けるためにシリコンバレーに派遣する取り組みだ。02年に「NUS海外カレッジ(NOC)」制度を新設し、学部3年生を米シリコンバレーのスタートアップに送り込んだ。スタートアップで学生は1年間インターンとして働き、アイデアをビジネスに転換し、事業を拡大して会社を経営することがどういうことかを体感してくる。帰国してシリコンバレーの起業文化をシンガポールに移転してくれるのではないかとの思惑だ。

「打算的な学生でなく、自ら起業したいという情熱がある学生を選抜している。ちょっと変わり者を選んでいる」とリリー・チャン氏。第1期生は応募した約千人の中から14人を選抜した。選抜には面談を含め3、4カ月かけた。受け入れ側のスタートアップの創業者との面接も無料ネット電話「スカイプ」でする。「お互いの相性が大切」だからだ。

派遣された学生もスタートアップからの受けがよく、「口コミで学生の評判が広がり、派遣先が別のスタートアップを紹介してくれる」ため、派遣側と受け入れ側の互恵の好循環が生まれた。今では年間300人が派遣される。送り込む先もシリコンバレーから上海、ストックホルム、北京、イスラエル、ニューヨーク、ミュンヘン、ローザンヌへと広がった。累計で2200人がNOCを経験し、彼らが創業したスタートアップは250社に達したという。

投資資金を会社売却で回収し「エグジット(出口)」に成功した事例も出てきている。05年設立のテンキューブは紛失した携帯電話の位置を特定しロックをかけられるソフト「ウェーブセキュア」を提供していたが、10年にウィルス対策ソフトを手掛ける米マカフィーに買収された。07年設立のゾピムはチャット方式の接客ソフトを開発するスタートアップで、14年にデンマーク発のクラウド型顧客対応サービス、ゼンデスクに買収された。「こうした成功例を見て、若い人たちが自分にもできるのではないかと思い始めた」(元ストレーツ・タイムズのテック担当記者、グレース・チュン氏)。

NUSはこうした大学発スタートアップの受け皿として、安い家賃でオフィスを提供するインキュベーション施設を作ることを考えた。それが「ブロック71」だ。

チャンCEOは大学から一駅の「ワンノース」にあった取り壊し寸前の建物に注目し、保有するJTCコーポレーションと交渉。建物を改装してインキュベーション施設に転換するよう説得した。メディア開発庁(現・情報通信メディア開発庁)、シンガポール・テレコムを巻き込み、11年に正式に「ブロック71」を開設した。NUSがスタートアップを送り込み、メディア開発庁は傘下のインフォコム・インベストメンツが海外のアクセラレーターを誘致。シンガポール・テレコムが投資子会社を通じてスタートアップに資金提供をする、といった役割分担だ。

NUSは単に箱物を作ったわけではない。スタートアップをそこに集め、人的なネットワークを構築し「コミュニティー」の形成を促した。そのために有名人による講演や経営指導セミナーなど各種イベントを開催し、その後にかならずパーティーなどの交流会を開いた。組織を越えた人脈による「オープンイノベーション」が重要との判断があるからだ。米調査会社コンパスが15年7月に公表した「グローバル・スタートアップ・エコシステムランキング2015」で、世界20都市中、シンガポールはパリを抑えて10位に選ばれた。

「ブロック71」の成功に刺激を受けて、シンガポール政府のイノベーション振興に関連する省庁もスタートアップ育成に一斉に舵を切り始めた。

隣接する立派なビルに入っているA*STARは傘下の技術移転組織ETPLを通じて、「ブロック79」の中に新施設「A*STARセントラル」を設けた。バイオ、医療関連のスタートアップの支援を旗印にする。簡単な化学実験ができる共同ラボラトリーを設けるなど、IT系企業中心でパソコンと机だけの「ブロック71」とは差別化を図る。A*STARの研究者のスピンオフ企業だけでなく、海外のスタートアップ、そして学生起業家なども少額のメンバーシップ費を払えば、家賃なしで入居できる。

金融機関の監督業務など規制官庁だったシンガポール金融庁(MAS)も、フィンテック・スタートアップ振興のため規制緩和を宣言。規制を気にせずにフィンテック関連の試行ができる「レギュラトリー・サンドボックス(規制上の砂場)」政策を採用する。8月にはスタートアップがそうした実験ができる研究室「ルッキンググラス」をMAS内部に設置した。フィンテック関連のスタートアップ、ソキャッシュにも初めて出資もした。

今からおよそ20年前、「ブロック71」に先行する試みがすでにあった。ケントリッジ・デジタル研究所(KRDL=クレードル)という情報系の国立研究所で、「ブリッジング・ユニット」と呼ばれる事業移行組織を設け、象牙の塔にこもりがちな研究者に積極的に起業を促し、自らが開発した技術の商品化を加速させた。30以上のベンチャー企業を生み出し、「シンガポール初のインキュベーション施設」(グレース・チュン氏)と注目された。ちょうど米国で始まったITブームがアジアにも押し寄せていた時期で、00~01年にITバブルが崩壊するとその余波を受けた。政府は類似の国立研究機関の統廃合を進め、KRDLも02年に別の研究所と統合。名前も消え、KRDLの成功は忘れ去られた。

02年といえばNUSがNOC制度を始めた年だ。KRDLがあったビルには偶然にも現在、NUSエンタープライズが入居する。KRDLは消えたが、起業文化を創造する試みは「揺りかご(クレードル)」から「ブロック71」に受け継がれた。(起業家倶楽部)

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